出典:コドモミライ明日を創るひらめき
小学2年生(現在は3年生)で、国際あやとり協会が認定する「あやとり教室指導員」の資格を取得した天才少年、「あやとり先生」こと大阪聡志くん。
今回は「あやとり先生」こと大阪聡志くんの学校や収入について、調べてみました。
あやとり先生大阪聡志くん、小学生で指導員にどうやってなった?
国際あやとり協会 (International String Figure Association — ISFA) というものがあります。国際あやとり協会は、1978年に設立された「日本あやとり協会」が発展した組織で、1993年に本部がカリフォルニアに移り、今日に至るそうです。
あやとり先生大阪聡志くんは、この協会の認定試験を受けて、あやとり教室指導員となりました。
このあやとり教室指導員になるには、認定試験が初級、中級、上級と分かれており、それぞれの等級ごとに技が複数指定されているそうで、初級に合格するには初級の指定の技から3種類、中級の場合は中級指定の技から2種類、上級では上級指定の技から1種類成功する必要があるのです。
そして更に、初級2枚、中級3枚、上級5枚の計10枚の合格証を取得。(1度初級に合格した人も挑戦する技を変えることで、同じ初級で2回目の合格を取得できる。)
同じ日の内に全て取得することも可能ということから、試験ごとに技も変えなければならないようです。実技だけでなく筆記もあるそうですよ。
これらの試験を8歳で難なく合格したというから、凄いですね。
あやとり先生大阪聡志くん、学校は?
あやとり先生大阪聡志くんは、横浜市立〇〇小学校の3年生。(〇〇はあえて自重しました)
小学校1年生の秋、お母さんの旬子さんが「車で出かける際の、車内の暇つぶしに」とあやとりを教えたのが、きっかけだったそうです。最初は全然好きではなかったと言っていたのですが、初心者用の本を買ってもらうと、それから夢中になっていったのだそうです。
あやとりが好きになったのは、学校がキッカケではなかったようです。
「あやとりで人生が変わった」という、あやとり先生大阪聡志くん。幼稚園時代は、人前で話しているだけでも泣いてしまうという程だったのが、お母さんの旬子さんが考えた「いいこと日記」という、あやとり先生大阪聡志くんとお母さんとの交換日記が彼を変えます。
「いいこと日記」はノートの左右のページに、良いことを見つけたらお互いに書き込んで、褒め合うもの。これをしていくうちに、楽しい事に目を向けられる様になり、自信にも繋がっていったようです。
両親の愛情、素晴らしいですね。
あやとり先生大阪聡志くん、収入はあるの?
あやとり先生大阪聡志くんの、先生としての収入はあるのでしょうか?
これに関しては、調べることは出来ませんでした。
ただ国際あやとり協会は「協会」と名乗っていますが、個人の寄付金のみで運営されている小さな非営利団体で、会長・理事のような役職もないそうです。協会からお金などは出ていなさそうです。
福祉施設やイベントなどで「あやとり教室」を開いているので、先生として立つときに、イベントの主催者から出ているか?といったところでしょうか。
まだあやとりを初めて2年足らずなのに、今では次々と“オリジナル”のあやとりを生み出し、その種類は200以上にもなるそうです。夢は「あやとりをやる人を増やしたい!」そのために「本を出す事」。しかも1000ページくらいのが目標だそうです。
まとめ
子供の吸収力は、本当に凄いなあと思いました。そこに興味が合わされば、こんな天才が出てくるんですね。いつかあやとり先生大阪聡志くんの1000ページのあやとり本が出ることを、楽しみに待ちましょう!
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