瀧澤克己「神の手」を生んだ医師としての心構え・意志を紐解く

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出典:日本赤十字社 旭川赤十字病院ホームページ

北海道の旭川赤十字病院に『神の手』を持つ医師がいる。

脳神経外科医、瀧澤 克己(たきざわ かつみ)さん。

直径1ミリにも満たない脳の血管を縫う“神技”が、助けるのは無理と思われた患者たちを、見事に救ってきた。

今回は瀧澤克己さんの、「神の手」を生んだ医師としての心構え・意志を紐解いてみたいと思います。

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瀧澤克己さんの「神の手」を生んだ医師としての心構え・意志とは? ①出会い

瀧澤克己さんは、最初から「神の手」を持っていたわけではありません。
誰しもはじめは全くの素人から始まるわけです。瀧澤克己さんとて、例外ではありません。

医師になって6年目の1996年。旭川医科大学の医局からの派遣で旭川赤十字病院(以降、旭川日赤)の脳神経外科に赴任しました。そこには脳動脈瘤手術の第一人者であり、「匠の手」を持つとして広く知られていた上山博康氏がいました。上山博康氏の指導は厳しく、緊急手術があれば深夜であっても医師全員が集まり、手術室は各人が腕を磨こうと常に医師たちであふれていたそうです。

その上山博康氏から言われた言葉、「手術は駄目だな」

若い頃は手術のたびに手の震えが止まらず、「手術は向いてない」と言われていたそうです。
直径1ミリにも満たない脳の血管を縫う。手の震えは血管縫合に致命的でした。

「僕の手術によって悪くなってしまうのでは、という恐怖心から手が震えていました。」と、過去のインタビューで語る瀧澤克己さん。自分の腕に自信がない。だから『手術は駄目だな』と言われても認めざるを得ない。そう思っていたそうです。
しかし体力だけは自信があったという瀧澤克己さんは、カルテや診断書の作成など、他の医師がやりたがらない事務的な作業を率先して進んで行っていました。手術室よりも病棟によく足を運び、術前・術後の患者を診たそうです。時に「なぜ手術室にいないんだ」と言われながらも、月日が過ぎていきました。

1年半たったころ、手術が何とかできるようになると、上山氏が出張手術に行く際は瀧澤氏が同行するようになったのです。

匠の手を一番近くで見続けることが出来る位置に、瀧澤克己さんは来たわけですね。

「一番近くで匠の手を見続け 一挙手一投足を吸収する」

 

瀧澤克己さんの「神の手」を生んだ医師としての心構え・意志とは? ②分岐点

医局からの派遣期間が2年経とうとしていた3月に、一人の医師が開業のために辞めることになりました。このタイミングで自分も大学に戻れば、現場や患者が困ってしまうと思い、あと1年だけ延長させてほしいと医局に頼み込んだが、認められませんでした。そして瀧澤克己さんは勢いでこう言ってしまうのです。

「だったら医局を辞めます」

しかし4月から働く場所がなくなってしまった、瀧澤克己さん。それを救ったのが、上山博康氏でした。看護師から医局を辞めたことを聞き、秋田県立脳血管研究センター(以降、秋田脳研)にポストを用意してもらうよう連絡。秋田脳研には日給8000円の非常勤で、アルバイトをしながら生活を維持し、半年で正規職員になることが出来ました。

もうこの時点で、瀧澤克己さんを育てて行こう!という気持ちは、上山博康氏には出来上がっていたのですね。上山氏は「手術を芸術のように考えている術者がいますが、自分が何千例やることを目的にして、育てるべき後進に技術を伝承しようとしない医師は失格」という信念を持たれています。

自分が手術を受けてもいいと、全幅の信頼を置ける弟子を日常の治療行為を通じて育成してく。かつてこちらも、「神の手」・「ラストホープ(最後の切り札)」と言われている脳神経外科医の福島孝徳氏から、

「もし僕が脳血管の手術を受けるなら上山先生にしてもらう」と言われたように。上山博康氏が脳血管の手術を受けるなら、瀧澤克己さんにやってもらうと言える存在になってほしかったのだと思います。

こうして秋田脳研で2年が経とうとしたころ、上山氏は瀧澤克己さんを旭川赤十字病に呼び戻します。それからは、瀧澤克己さんは全国から上山氏の「神の手」の手術を希望して訪れる全ての患者の主治医を受け持ちます。上山氏の出張手術の同行も増え、そこで技術や考え方をどんどん吸収していくのです。

瀧澤克己さんが開頭し、上山氏に引き継ぐ。目の前で匠の手がどう動くのか、その全てを吸収しようと集中したそうです。この時瀧澤克己さんは、自分で執刀したいとは、全く思わなかったそうです。
技術もスピードも素晴らしい上山氏の執刀で、患者さんが明らかに良くなることを何度も見てきているからです。

瀧澤克己さんの「神の手」を生んだ医師としての心構え・意志とは? ③脳神経外科のトップへ、そして想い

2012年、上山氏が他病院に移ることになり、脳神経外科トップのバトンが瀧澤克己さんへと渡されます。

瀧澤克己さんの座右の銘は「凡事徹底」。当たり前のことを徹底的に行うこと。そして「患者第一」。医師として一番大切なことだと、強く言われているそうです。

患者第一」そう言って下さる先生に、私たちも治して欲しいと思いますよね(^^)

「神の手を見続け学んだ 次は自分が見せて育てる」

自分の勉強の為に手術をするより、自分がやって良くなるか分からない手術はせずに、患者さんのためにも見て学ぶ。上山氏にピッタリとついて学んだ瀧澤克己さんだから言える言葉だと思います。

 

まとめ

人の命を預かる仕事、色々調べながら、医療に係わる方々の意志の重さを、ひしひしと感じる時間でした。瀧澤克己さんを目標に、どんどん素晴らしい医療関係者が生まれることを願います。

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